大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和52年(行ツ)138号 判決

新潟県上越市本町二丁目四番一〇号

選定当事者

上告人

櫛笥信一

(右選定者は別紙選定者目録記載のとおり)

右訴訟代理人弁護士

高橋利明

東京都中央区日本橋堀留町二丁目六番九号

被上告人

日本橋税務署長 岡田憲二

右指定代理人

鈴木実

右当事者間の東京高等裁判所昭和四九年(行コ)第六四号相続税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和五二年九月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高橋利明の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及び説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鹽野宣慶 裁判官 栗本一夫 裁判官 本下忠良 裁判官 塚本重頼 裁判官 宮崎梧一)

選定者目録

新潟県上越市本町二丁目四番一〇号

櫛笥信一

同所同番号

櫛笥マスノ

東京都葛飾区青戸町六丁目二七番一一号

斉藤トミエ

東京都渋谷区幡ケ谷二丁目四番一三号 五協荘内

斉藤京子

新潟県上越市大字土橋九三一番地の八

櫛笥サチ子

(昭和五二年(行ツ)第一三八号 上告人 選定当事者 櫛笥信一)

上告代理人高橋利明の上告理由

第一点 原判決の理由には齟齬がある。

一、原審における上告人の主張と原審の判断

被上告人は、被相続人櫛笥一臣の事業用財産として金四八、〇五〇、一四四円(第一審判決の修正前のもの)を認定したが、そのなかには、一審判決手形表16の約束手形(以下単に16の約束手形という)が含まれているのであるが、これについて、上告人らは、「(1)額面金額三三〇万円の約束手形は蔦谷亀太郎に帰属するものであるが、(2)かりにそれが一臣に帰属するものであるとしても、同人は、占有中の一連の樋口関係の約束手形債権中から金三〇〇万円を蔦谷に返還しなければならない関係にあるから、相続開始時の一臣の樋口に対する債権額から三〇〇万円を減ずべきである、旨主張したのである。

これについて原判決は、右(1)の点については、第一審判決の認定を支持したうえ、「蔦谷の樋口に対する出資分一五〇〇万円に対応する手形として、別に樋口振出蔦谷を名宛人とする額面一〇〇〇万円、二〇〇万円、二〇〇万円、一〇〇万円の四通の手形が存在していたことが認められ」ることを理由に、右16の約束手形が蔦谷に帰属せず、一臣に帰属するものと認定した。

右(2)の点については「蔦谷亀太郎は一臣を通じて樋口に対し一五〇〇万円を貸付けていて、右の樋口振出蔦谷あて額面一、〇〇〇万円、二〇〇万円、二〇〇万円、一〇〇万円の四通の手形を所持していたところ、後に一臣の差替の要求により同人に右手形を渡し代りに同人振出の一、五〇〇万円の手形を受領したこと、一臣死亡後蔦谷及び控訴人らにおいて抵当権の実行をするに当り昭和四一年八月蔦谷の代理人加藤弁護士が控訴人に要求し事情を知らない同人から甲第三一号証記載の一〇通の手形(この中に右四通の手形のうち額面一、〇〇〇万円と二〇〇万円の手形のほかに右16の手形が含まれている)を受領したことを認めることができる」としながら右事実関係によっては「直ちに控訴人が主張するように一臣が蔦谷に対し額面二〇〇万円と一〇〇万円の手形債権に相当する金三〇〇万円を返還しなければならない関係にあるとはいえず、そうとすれば相続開始時の一臣の樋口に対する債権額から三〇〇万円を減ずべきであるということにはならない」とした。

そして、右のように判断した理由は「右認定事実によれば、蔦谷が所持していた四通の手形は一臣振出の額面一、五〇〇万円の手形と差替えられたものであり、その後右一、五〇〇万円の手形及び右四通の手形のうち額面二〇〇万円、一〇〇万円の手形はどのように移動し決済されたものか本件全証拠によっても明らかでないのであるから」としているのである。

以下には右(2)の点についての原判決の判断の違法性を述べる。

二、原判決の不当性について

前記引用のとおり原判決は、蔦谷亀太郎は、一臣を通じて樋口に対し一五〇〇万円の債権を有していて当初、樋口振出蔦谷宛の額面合計一五〇〇万円の四通の約束手形を所持していたが、のち一臣の差替の要求により同人に右手形を渡し代りに一臣振出の同額の約束手形を受領していたこと、さらに後の昭和四一年八月、蔦谷及び上告人らが樋口に対する抵当権の実行をする際、上告人は蔦谷の代理人加藤康夫弁護士の求めに応じ、額面一、〇〇〇万円、同二〇〇万円(以上の二通は、かって蔦谷が所持していた樋口振出蔦谷宛の四通の手形のうちの二通であると推測される)、同三三〇万円(これが16の手形である)等の手形を同弁護士に交付したことも認定しているのである。

右原判決の認定は正しいのであるが、これによれば、一臣が蔦谷に対し、一五〇〇万円の手形債務ないし、樋口振出の合計一五〇〇万円の約束手形の返還義務を負っていたことは明らかなことであり、さらに、昭和四一年八月に至って蔦谷から上告人が右議務の履行を求められたことも明白である。

上告人らは、原審において16の約束手形を蔦谷の代理人加藤康夫弁護士に交付したのは、この義務の履行であった旨主張していたのである。上告人の右主張は、原判決の右認定事実の範囲で完全に証明されているとみるべきであろう。

ところが原判決は、一臣が差替えに蔦谷に交付した一臣振出の額面一五〇〇万円の約束手形や当初蔦谷が所持していた樋口振出の額面合計三〇〇万円の二通の約束手形がどのように決済されたか不明であるから、16の約束手形の蔦谷への交付は、右三〇〇万円の振り替わりに交付したものとは直ちに認められない、というのである。

原判決の右説示は全く理解に苦しむ。蔦谷が所持している一臣振出の一五〇〇万円の約束手形が何ら決済されていないことは言うまでもない(加藤弁護士を通じ蔦谷から樋口振出の約束手形の交付を求められたのは、一臣やその相続人らが決済をしていないからである)ところであるが、樋口振出の前記二通の約束手形の行方が不分明なことは、前記上告人の主張(16の約束手形の蔦谷への交付は、一五〇〇万円の約束手形の返還義務の履行の一部にあたるものであること)の反対事実足りうるであろうか。論理上ありうるケースを考えれば、(イ)右二通の約束手形が既に蔦谷のために決済(樋口の弁済)されているのに蔦谷が16の約束手形をも受取って事実上二重取りした場合、(ロ)相続開始後、上告人らが右二通の約束手形の決済(前同)を受けていてその額面金額を受領している、という場合だけである。一臣が生前この二通の約束手形の決済を受け、樋口から貸金を回収しているような場合は、このような事実があったとしても、既に約束手形そのものが相続時存在していないのであるからこれは本件に無関係である。また一臣が、二通の手形を紛失しているような場合も同様な理由で同じ結論になる。

では前記(イ)と(ロ)のケースが現実にあり得るかというと、樋口振出蔦谷宛の四通の手形は、差替以後一臣において保管を継続し、蔦谷には渡っていなかった(関根登証言及び加藤証言)のであるし、相続開始後、上告人らに手形類の保管が移った際には右二通の約束手形は存在していなかったのであり、樋口から債権を回収し得る状況にはなく、また樋口が自己の約束手形を決済しうるような状況には全くなかったことも、一、二審の上告人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から明白である(樋口の困窮の状況は一審判決理由中の「(2)樋口に対する債権の価額の評価について」と題する項にも判示されている)。

以上のとおり、原判決指摘のように樋口振出蔦谷宛の二通の約束手形(額面合計三〇〇万円)の決済状況やその行方は不明であるが、右手形がいかなる状況にあろうと、上告人が蔦谷に対して一五〇〇万円の約束手形の返還義務(ないしは一五〇〇万円の返済義務)を負うことには何らの影響も与えないし、この義務を履行する意味で16の約束手形を蔦谷に交付したことにも何らの影響をきたすものでもない。

以上のところからすると、原判決は、本来蔦谷が所持すべき樋口振出の一五〇〇万円の約束手形を一臣が保管していたこと、そしてその故に一臣ないし上告人らがその返還義務を負っているものであることを認め、かつ、蔦谷からその義務の履行を求められ、上告人においてこれに応じたことを事実と認めながら、前記のように、証拠上あり得ない事実関係を想定し、相続開始時における蔦谷に対する三〇〇万円相当の約束手形の返還義務の存在を結局認めなかったのは、理由に論理を欠いたものであり、理由に齟齬あるものといわざるを得ない。

第二点 原判決には最高裁判所判例に反する判断をした違法があり、かつ原判決の判断に影響を及ぼすこと明らかな採証法則の違背がある。

一、前提となる事実関係

原判決の認定によっても、一臣が蔦谷に対し一五〇〇万円の手形債務ないし樋口振出の合計一五〇〇万円の約束手形の返還義務を負っていたことは明白となっている。そして、昭和四一年八月、蔦谷からの求めに応じ、本件16の約束手形を含む三通の額面合計一五三〇万円(利息債権の約束手形分はのぞく)の約束手形を同人の代理人加藤弁護士に交付したことも原判決によって認められていること、第一点に記述したとおりである。これに若干付言すると、少なくとも、加藤弁護士から約束手形の返還を求められたとき、上告人の保管にかかる宛名を蔦谷とした樋口振出の約束手形(利息債権分はのぞく)は甲一九号証の不動産競売申立書中の蔦谷亀太郎の請求債権目録に記載された一〇〇〇万円と二〇〇万円の二通のみであったことは、加藤証言、原審の上告人本人尋問、甲第三一号証によって明らかである。そして上告人としては、蔦谷の樋口に対する貸金債権元本は金一五〇〇万円であり、これらの貸付はすべて一臣がとり仕切っていたことは一臣から聞き知っていたし、加藤弁護士からも同様の説明を受けたので、上告人保管中の約束手形中、蔦谷宛の二通の前記約束手形(合計額面金額一二〇〇万円)のほか、不足分の三〇〇万円に最も金額の近似する本件16の約束手形(額面三三〇万円)を同弁護士に交付したのである。さらに、櫛笥と蔦谷との間には、樋口に対する債権の存在以外に、何らの債権債務も存在していないことは、右両当事者間では確認されているのである(加藤証言及び控訴審における上告人本人尋問の結果)。

以上のところからすると、一臣ないし上告人らは、蔦谷に対し、樋口振出蔦谷宛の一五〇〇万円の約束手形の返還義務を負い、もしこの義務を果せないときは、少くとも同額の樋口振出の約束手形を交付するか、同額の金員を支払わなければならない債務を負っているものであることは明白である。そして、上告人としては、少なくとも、右の返還義務の履行として16の約束手形を交付したのであるし、加藤弁護士も同様の認識のもとにこれを受領したのである。

二、最高裁判所判例違反及び採証法則違反

税務署長らがなす更正処分にあたり、課税価格の算定の基礎となる相続財産の認定について、適法妥当であることが必要で、これを課税者側で主張、立証することを要することは言をまたないところであり、(最高判昭和三八年三月三日訟務月報九巻五号六六八頁)本件の如き更正処分の取消訴訟においては、被上告人が認定した相続財産の額の妥当性について争われたときは、その認定の適法、妥当性について挙証責任を負うものであることも明白である。

これを本件について見てみよう。

本件では、被上告人が16の約束手形を上告人に帰属するものと認定したが、その約束手形そのものは蔦谷亀太郎の手に渡ったことからその帰属について上告人は争い、かりに上告人に帰属するものとしても、右約束手形金額にほぼ相当する三〇〇万円は、相続開始前、被相続人が蔦谷に負っていた債務の履行として返済しなければならないものであって、16の約束手形の交付は、その履行であるから、右三〇〇万円相当額は、相続財産から減ぜられるべきであると主張しているのである。

そして、右上告人の主張事項は、原判決の認定によっても一応証明されている。即ち、蔦谷は一臣を通じて樋口に対し一五〇〇万円の債権を有していたが、その約束手形四通は、永らく一臣が保管していて、蔦谷には、一臣から同額の約束手形が交付されていたこと、相続開始後、上告人は、右約束手形四通を蔦谷に引渡すことができず、本件16の約束手形を含め総額額面一五三〇万円の手形を交付したことが明らかである。

そして、櫛笥と蔦谷間には、右樋口にかかる一五〇〇万円の債権のほか、何らの債権債務は存在しないことを証明する証拠は存在するが、これに反する証拠は存在しない状況にある。

右一連の事実をもってすれば、被相続人が蔦谷に対し、約束手形の返還義務ないし一五〇〇万円の手形債務を負っており、上告人が右返還義務を履行したとの一応の証明がなされたものとみるべきが当然である。

かかる場合、本来相続財産額の認定については、被上告人が挙証責任を負うことや、また一般の挙証責任の分配法則(一方の当事者が権利ないし義務の発生を主張、立証した場合、その相手方がその発生の障害事由ないし消滅を主張、立証)からしても、右一臣ないし上告人らの蔦谷に対する債務の消滅やあるいは、その弁済行為(16の約束手形の蔦谷への引渡し)が、他の債務への弁済である旨の主張、立証は被上告人においてなすべきものである。

原判決の説示は、前述のとおり理解に苦しむものであるが、16の約束手形の蔦谷への引渡しを、非債弁済でないとか、相続開始時上告人の手許に存在していない樋口振出の二通の約束手形の行先までを上告人側に主張、立証せよというのは悪魔の証明を要求するものである。

右事実の存在を問題とするのであれば、それは被上告人の再抗弁事由であって、法事実が不分明であることの不利益は被上告人において負うべきものである。

以上のとおり原判決は、被相続人一臣の蔦谷に対する約束手形の返還義務(これが履行できないときは同額の金銭債務)の発生と上告人のこれについての弁済の事実を主張、立証しても未だ十分とせず、論理上想定しうるあらゆる消極事実についても立証することを要求するものであって、これは、課税の対象となるべき財産の存在や税額算定の基礎となるべき積極、消極財産について、課税者側に立証責任が存在するとする趣旨の前記最高裁判所判例に反するものであり、かつ一般の挙証責任の分配法則にも反するものであり、この違背は原判決の判断に影響を及ぼすこと明らかである。

本件の上告理由は以上のとおりであるが、いずれの論点よりしても原判決は違法であり破棄さるべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例